自分で死を選ぶということ。

1月9日、私は過量服薬で自殺を図った

結果から言えば死には至らない量であった

しかし量は多かったので酷い中毒症状を起こした

それは頭がぼーっとして足取りがおぼつかない

という状態でそれが2日ほど続いた

 

私は小さい時に2番目の家族を亡くしている

私と母を抜いて父と祖父母が首吊り殺し合って

一家心中を図った

思えばその時分から私には死が近くにあった

死後の世界なんてものを考えて死を恐ろしがった

しかし実際に死を選択する時

死に関する一切の憂慮などなかった

 

 

しかしこうして元気になった後で

医者、看護師、友人、教授などから心配された

たくさんの励ましの言葉をいただいた

周りの人は案外優しいから頼って欲しいと言われた

しかし私はこうして広大無辺のネットの海に

気持ちを吐露すること以外では

全てをまた抱え込んでしまうと思う

人に極端に頼ることが怖いし頼り方を知らない

未だに人々は裏で私を忌み嫌っていると思う

愛が欲しいと子供のように喚いているのに

私はきっと人々の優しさを無為に拒んでしまう

誰にも心を開けない

 

結局自分で死を選んだとしても

死ねるかは誰にもわからない

そして死んで、または死のうとして

初めて人から心配される人もいる

私がそうだ

誰も私が抱えていることなんて知らなかった

だから私のような人間が心配されるには

つらい気持ちに気付いてもらうには

一人で抱え込まないようにするには

きっと死を選び続けるしかない

死のうとしないと誰からも気づいてもらえない

そうして生き残ってしまった後で

なんの問題も解決されていないことに気づき

私はまた絶望する

助けが必要なのに死を選ばないと助けは来ない

そして死んでしまえば何も感じられないのに

人々は誰かが死んで初めて最良の優しさを示す

私にはそれが初めての優しさだ

今回たまたま死ななかっただけであり

本来全ては死んだ後なのだ

人の優しさも温もりも愛も

私がいなくなった後で与えられる

私は再び絶望する

なんて寂しく酷薄な世界なのだ

誰にどう説得されようと

私には誰もいない

誰も私の周りにいてくれない

死を選び続けない限り誰もそばにいてくれない

これが現実なのだ

そして死なないと問題は解決されない

寂しさも

醜い愛着障害

病気も

LGBTQという少数派でいることも

レイプされた過去も

虐待された過去も

体を売った汚い過去も

全てのトラウマも

これから来至るつらく悲しい出来事も

私の中に残ったままだ

 

今回は死ねなかった

まだ問題が山積みだ