犠牲味のパン。
梅雨が明けると耳にしてから
次第にその様相が激しくなる、富山の雨天。
もう7月なのにって
7月----
最後にブログを書いたのは去年の7月でした。
実に1年ぶりの書き込みに驚いています。
この1年間もまた、動乱の時を刻んでいきました。
でもこうやって、小さな死を繰り返して生きるしか、
自分はそんな生き方しかきっと知らない、
そんな生き方が自分にこそ相応しい、と思います。
これはほんの1年分の概略日記です。
8月頃、少し交友のあった男性に、恋愛関係になる事を持ちかけられて、同性愛者でない私は柔らかくお断りしたのですが、そこからモラハラとストーカー行為に走られてしまいました。俺は毎日これだけつらい思いをしているが全てお前のせいだ、責任を取れ、家は知っているからお前を殺しに行く、など、鬼電と家凸にとにかく気合が入っている方でしたね。鳴り響くインターホンに頭がおかしくなってパニックで自分の頭を殴りつけて泣き出したりと大変でしたが...しばらく家に帰らない生活をしていたら今は音沙汰が無くなりました。安心。
9月頃、職場の三十路90kgオーバーの死ぬほど好きでない女性に私と付き合え!と包丁を振り回されて目の前でリスカレグカで血の温床...付き合わなければ職場を辞めてやると言われて付き合ったが、結婚するだの私の親に挨拶に行こうなど(実際に千葉まで行きました)と言い始め、次第に体型に比例するが如く態度も大きく粗暴になっていき、毎日暴言を吐かれていました。
5ヶ月耐えましたが、洗脳自己暗示生活もそろそろ限界でしたので3月に別れを告げました。彼女にはしっかり生きて欲しいですね。
11月頃、経済的援助をしていた親戚からの要求金額が日増しに多くなっていって50万が今すぐ必要だという旨を聞いた後、示談に入って結局離縁しました。何か温かいものを信じていたので悲しかったですが、お金で繋がる関係にろくなものがないなんて当然でした。
3月末で2年働いた会社を事実上の退社という形で辞めました。4月から大学に復学する為だけに1番の資金源を足切りしたのですが、これは英断であったと思っています。
4月から大学に復学しました。2年ぶりの大学。普通の若者が普通にひしめき合うその光景に懐かしさと動揺を感じていました。専門の授業、卒論研究に関してはまあまあの出来ですし、以前の自分に比べてその能力が衰えてるのではないかと心底不安でしたが、杞憂でした。新しい知識を得ることに格別の快感を覚えます。9月までの目標は、語学分野ではイタリア語の習熟度上げとスペイン語の文法、言語学分野ではブール代数から様相論理への発展、S4公理からの位相的意味論の導入を学ぶことです。(ウガリト語や他の言語も少しできたらいいな...)
何を言っても9月の卒論中間発表は大前提なのですが、自分のペースを大事にしたいです。
6月上旬に、1年半働いていた夜の職場を辞めました。上に書いた女性の件、あまりにも長すぎる労働時間、そこで働いた為に患った胃潰瘍などの臓器の不調を全く考慮されないなど、辞める理由は十分にありました。これは、自分の人生の中で最も賢い選択の一つだと思います。
7月1日から、ヘッドハンティングという形で友人が経営しているお店で社員として働くことになりました。以前の職場と比べると全てにおいて文句なし、と言ったところでしょうか。(ただ、以前の職場の上司が因縁を付けてきてこちらを潰そうとしてくるのが怖いところですが...夜職って本当に怖い...)
週5出勤が契約なので、勉学をしながら仕事もこなしていきたいものです。
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去年の7月から色々な事が変わりました。
自分で様々な決断をしてきました。
これからも色々な選択をしなければなりません。
できることは、精々が青い強さを祈り続けること
祈るその手で、小さな死を綴り続けること
いつかきれいなものが手に入れられるか
全くわからんが。
一度失ってしまったものは、二度と戻ることはない。
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相変わらずのPTSDっぷりで、日中のフラッシュバックに昼夜問わずの過覚醒がエゲつねぇわけですが、毎日がお天道様に感謝しとりやす、という事でこれからも頑張って生きます。
もしかしたら、はららかな希望が、ほんの少し、でもまだ残されているかも知らないので。