電磁気ゼミ/その他雑多なこと
【ゼミについて】
先日、GWに入る前に第一回電磁気ゼミを晴れて行うことができた。
色々悩み、初回は数学の話をした。ベクトル解析が主だった。
話した内容はざっくりとこんな感じだ。
方向微分と勾配ベクトル場:ベクトルxの関数f(x)の単位ベクトルv方向への微分はdf(x)/dv=f(x+tv)-f(x)/t (t→0)である。
これを単純な計算によりdf(x)/dv=df(x+tv)/dt と表し、これが最小をとる時、単位ベクトルvは-(∂f/∂x,∂f/∂y)と同じ方向を向き、その時の値は-√(∂f/∂x)^2+(∂f/∂y)^2となることを示した。
ベクトル場の発散:領域内に電場E=(E_x,E_y,E_z)が存在し、そこに一辺がそれぞれδx,δy,δzの直方体を考え、ここから平行な二つの面(z軸に垂直な面とした)に着目し、床と天井から出て行く電気力線の本数を∫[x~x+δx]dx∫[y~y+δy]dy{E_z(x,y,z+δz)-E_z(x,y,z)}として、これが{E_z(x,y,z+δz)-Ez(x,y,z)}δxδyとできること、解析学的にどういう近似をしているのかを見た。そしてこれらがz方向の湧き出しを表していること、それらの値の正負が物理的なイメージとどう結びついているかを見た。
ベクトル場の回転とモーメント:R^2にある、点(x,y)に固定された軸点を持つ、そこからx軸、y軸方向にそれぞれ幅2δの羽根を持った風車を考え、それがベクトル場V=(V_1,V_2)を空気の流れとした時にどれくらいの勢いを受けるかを考えた。その時に、明らかに回転運動を始めることから力学的なモーメントを考え、それらを足し合わせ、テイラー展開による近似を行うと総和は2(∂V_2/∂x-∂V_1/∂y)δ^2となり、rotVに比例する量が現れることを示した。
回転が0と保存力場:保存力場とは、仕事が経路によらないような場のことを言う。
閉経路をCとし、ベクトル場をV、曲線のパラメータをベクトルlとした時には、∮[C]V・dl=0と表せることを言う。
先の風車の例をそのまま適用すると、閉曲線を考え、受ける仕事を計算すると2(∂V_2/∂x-∂V_1/∂y)δ^2となり、保存力場であるならば、任意のδに対して括弧の中ーrotV=0となるべきであろう。
ここで一般に次のことが言える。
rotV=0⇒領域Ωに含まれる任意の経路l:[a,b]→Ωに沿ったVの積分∫[a~b]V(l(t))・dlは端点l(a)、l(b)のみによる。
更にこれは周期T(つまりl(t+T)=l(t)となる)を用いて∫[0~T]V・dl=0と同値である。
これを示した直後にこれが成り立つのは領域Ωが単連結である場合のみであることを示した。例として、パラメータlの像Lが囲む有界領域Dを考えると、平面上のグリーンの定理:∫[L]V・dl=∫[D]rotVdxdyとなるが、領域Dにベクトル場Vが定義されない点があった場合には成り立たない(つまり領域Ωが単連結でないということ)ことをあげた。
ここで時間が来たので解散となった。
一、二年生三人と四年生一人を交えての回だったためかなり標準的な話に絞った。
本当はpdfに纏めたいのだが、悲しいことによく使い方がわからないので使っていない。
【雑多なことについて】
雑多というほど多くの種類のことを語るつもりはないが気に入ってるので使っている。ただ一つ二つ話そうと思う。
ぼくには一応の、漠然とした目標がある。それは端的に言えば研究がしたいというものなのだが、根底にあるのは学ぶこと、知ること、理解することが心底楽しいという感情である。
けれど、これはあまりに茫洋とした動機なのではないかと最近思う。より正確に、生々しく言えばそのように思わされているのである。周囲を見ると、みな将来にしっかりと繋がる何かを掴もうとしている。就職活動などがそうである。
それに比べてぼくは先に言ったような、ある意味では地に足をつけていない、広大無辺な目標を日々追い求めて、比較的自由に学び勉めている。何も悪いことばかりではなく、その目標の為には先ず大学院入試に受からなければならないという目先の、明瞭な目標はある。だがここには次のような疑問が生じ、忽ちふらついた展望に変わる。すなわちそもそも文学部所属の自分が理学部の院に受かりしっかり必要なことをこなしていけるのか、という疑問である。受験資格があるとは聞いたし調べたが、自分を信じていないのでやはり不安なのだ。
更にぼくの自由で明るい勉学という空を暗い雲で覆い隠そうとするものがある。
それは能力である。とにかく自分に自信がない。そしてこれは物理学や数学に限ったことではないのだ。例えば語学力。大学一年まではとにかく自分の語学力に自信があった。中学と高校でかなり多くの、様々な国の外国人と知り合い、友達となった。恋仲になった人もいる。
ぼくはそこで主に英語とロシア語を使った。ドイツ語も使う機会があったがドイツ人は英語が上手いので彼らとは特別な事情があるとき以外は専ら英語で会話した。殆ど何不自由なく円滑にコミュニケーションを取り、何より英語やロシア語に訛りが全然ないことに驚かれた。自分の耳が良いことを心から誇った。
大学一年は教養の英語と二外としてロシア語を取った。提出物を出さなかったためとある英語の授業の評価は低かったが、それ以外は全て秀であった。同年の秋にTOEICを受けて、言い訳として事情により集中できなくなりリーディングの最後の十数問はあてつけで書いたのだが、それでも何も勉強せずに中々の高得点を出せた。
けれど、それほどに自信のあった語学力に最近自信がなくなってしまった。
というのもネットには僕よりも沢山の言語知識があり、中には僕よりも段違いで能力の高いポリグロットも存在する。
そして何より、僕は自分の語学力を何より自分のために使い、評価されることに費やすことなどしなかったのだ。故にそういった人達が周りから評価される中、学校のごく一部の先生からしか評価されてこなかった自分に最近気づき、何がなしに虚無を覚えた。それは評価されたかったということを意味しない。寧ろ僕の努力全てが、どういう目的で行われたかに関係なく、否定されているように感じることを意味する。
能力の高そうな人を見ると萎縮してしまい自信喪失に陥る。心当たりがある人もいるだろう。僕はずっとずっとこれに陥っている。他の悩み事と重なり、深い鬱になってしまうと好きなはずの勉学もままならなくなる。数週間何もしない日が続く時もある。このままではいけない。這い上がらなければならない。この暗く冷たい洞窟から早く抜け出し、明るく希望に満ちた空へ駆け出していきたい。