言語学の発表を終えて...

久しぶりにブログを書いている

また色々起きたのでブログの気分なのだ

人生はいつも何か起こるので飽きないね

 

今日はとても大きな出来事があった

数ヶ月努力して遂に完成させたもの

言語学の原稿を発表することができた

 

先生にはよく勉強していることが伝わり

テーマや目の付け所が非常に奥深く

膨大な量をよく纏め上げたと褒められた

 

その一方で

量が多すぎて発表には向かないこと

もう少し要約しようと助言された

 

発表時間が20分であり

半分も発表することは不可能なことを

知っていたのでその助言は少し痛かった

 

しかし、とにかく悪くは言われなかった

これが一番素晴らしいのだ

心が弱い私にとって何よりの収穫である

 

なぜならば

原稿作成は私を酷く悩ませた

生活に大きく影響を与えたからである

 

今年の1月に2年後期分の発表があった

しかし準備が間に合わず

これを断念した

 

その時私は不甲斐なさや自身の至らなさを思い知り、そして早くから準備をしていたが間に合わなかったことを恥じた

 

また努力を周りに知られることなく

ただ終わらなかったとされることや教授から失望されることが耐えられなかった

 

もちろん失望などされていなかったが

当時の私は他のことで心が乱され

正常ではなかった

 

自殺してしまいたいと

否、すべきであると思い実行に移す

その手前までに落ちぶれていた

 

ので、今回発表できたことはまた

過去の自分の努力を褒め称えること

でもあるのだ

 

 

発表のテーマを述べてみよう

英語とドイツ語に関する定冠詞の分布

である

 

出発地点はとても素朴であった

同じ表現でもドイツ語には冠詞がつき

英語には冠詞がつかない名詞が存在する

 

例えばgo to schoolとzur Schule gehen

がそうで意味は<学校へ行く>である

これはschoolが施設名詞だから起こる

 

もちろん先の英文に冠詞を付加して

go to the schoolということも可能だ

しかしそれは範疇の概念上非文となる

 

文法上は可能であるが

それはもはや単に学校へ行くのではなく

何か特別な指示された学校を意味する

 

go to schoolという表現は特別であってはならない

ただ学校へ通う、それだけなのだ

 

同じく前置詞句の縮約を行わず

zu der Schule gehenは可能であるが

この際も先よりも特別性を含意する

 

すなわち施設名詞に関して

英語の冠詞の有無はちょうど

ドイツ語の定冠詞の縮約にあたるのだ

 

他にも面白い概念がある

「弱い定」と呼ばれるものだ

例は次の通り

 

Have you already read the news paper today?意味は<今日はもう新聞を読んだ?>である

 

これが面白いのだ

なぜなら定冠詞theが付加されているが

そこに任意性を多分に含むからである

 

つまり、どの会社の新聞でも良いのだ

朝日新聞The New York Times

die Süddeutscheでも関係がない

 

統語論的には明らかに文は定である

恰も<その新聞>を指していると感じる

しかし意味論上では不定なのだ

 

その証拠にHave you already read a newspaper today?と不定冠詞に変えても意味の違いはさほど感じられない

 

ドイツ語の場合はどうであるか?

Hast du heute schon die Zeitung gelesen?で先と同じ意味である

定冠詞dieが付加されている

 

しかし<読む>という動詞lesenを

自動詞としてin~ lesenとして見ると

面白いことが起こる

 

Hast du heute schon in der Zeitung gelesen?見てくれは似ているが前置詞句内の定冠詞の縮約を行なっていない

 

こう言うと、かなり特別な意味になる

つまり<あの新聞を>というニュアンス

を含むのだ

 

これらが弱い定と呼ばれるもの

統語論的に定で意味論的に不定

何とも興味深いではないか

 

これらの他にも普通名詞と固有名詞

総称名詞、一意名詞、抽象性、グループ名詞、形容詞+固有名詞構造などがある

 

そして私は重要なある性質に出会う

英語は無冠詞の名詞により寛容である

つまりドイツ語は定冠詞をより付加する

 

定冠詞の分布の問題は次に帰着する

即ち普通名詞と固有名詞の境界線

である

 

そして今日ではこの明確な境界線は

未だ見つかっておらず恐らく

見つけることは不可能である

 

しかし、先の性質は非常に有用である

私の調査の理論的な裏付けを取るから

そのことに尽きる

 

私の調査とはベオウルフという

最古の英詩を用いたもので2言語に加え

古英語の定冠詞の出現頻度を見る

 

これは私の仮説によるものである

まずドイツ語の冠詞は英語のそれと違い、文法性と格の機能負担を持つ

 

よってその分冠詞の文法負担が上がり

ドイツ語では冠詞が文中で必要となる

というものである

 

膨大なページ数であったので

自分で節を決め定冠詞を数え上げるのだ

しかし古英語でこれは容易でなかった

 

古英語は指示代名詞から定冠詞を

作るため両者の見分けがつきにくいのだ

加えて語順が滅茶苦茶であった

 

しかし調査の結果

ドイツ語が一番定冠詞の出現頻度が高く

古英語が最低となった

 

古英語の名詞の文法性はランダムだ

ロシア語のように見分ける術が殆どない

この点はドイツ語と同じである

 

また格は屈折語尾を付加して示す

<家>という意味のhūsについて<家に>

は格語尾-eがつきhūseとなる

 

面白いことに殆どの場合主/対格は一致

例えば、Ic cwielme mīnan frēond(I kill my friend)とMīn frēond cwielmþ mē(My friend kills me)

 

frēond(friend)は主/対格で形が一致する

これは男性名詞であるが女性名詞でも中性名詞でも原則一致する

 

しかしその他の格は語尾を付加する

よって定冠詞が無くても格がわかる

現代ドイツ語では事情が異なる

 

単数男性/中性名詞属格語尾-es

複数男性/中性名詞与格語尾-(e)n

以外は格語尾は消滅している

 

よって格を識別するには冠詞と語順

これらのみに依存する

しかし冠詞がないと問題が起こる

 

V2語順というルールがあるために

前後の名詞の格関係が明らかにならない

Anna tötet Schmidtがいい例である

 

Annaが殺したのかSchmidtが殺したのか

英語では主語が原則前に置かれるので

この心配はない

 

このような事情のため冠詞が不可欠

だろうという仮説を私は立てた

論理的な証明ができるかは不明である

 

今後の方針で私は古高ドイツ語に

興味があると述べた

これもまた趣深い言語なのだ

 

私には他にも数学や物理など

学びたいことがあるので、あれこれするのは厳しいことを確かに自覚している

 

しかしこれはまた将来に関わる

重要な足場作りでもあるために

取捨選択は慎重に行わねばならない

 

加えて、私は精神が弱い

特にここ最近はめっきり弱くなり

廃人になりそうな勢いをも含んでいる

 

人生に対する茫漠とした不安感

上手く行かなかった末を考えた際の

荒波の如く押し寄せる絶望感

 

私はすべてすべてに命をかけている

この絶えてしまいそうな炎を

絶やさないように必死なのである