寂寥

「孤独は山にはなく、むしろ町にある 

一人の人間にあるのではなく

大勢の人間の『間』にある」

 

ある哲学者の言葉だ

孤独は一人のみで存在し得ないというのは

とても面白い考えだ

「孤」の正体は何であろう

 

 

ある定義に沿って話すなら

私は「疎外」という状態に在るだろう

これは社会的に人々から避けられている

という意味である

家族、恋人、友人から始まる

かつて親しかった人々は

みんなもう私のそばにいない

次々と人々から見限られた

原因は把握している

私の病気に関することだ

彼らには荷が重過ぎた

誰だってそう感じただろう

全て私が悪いとすればとても楽だ

あるいは価値主義的な観点から

助けの手を差し伸べるほどの価値が

私にはなかったからなのかも知れない

 

 

 

哲学者の言う通りだ

他者の存在によって

私は疎外感を抱いている

寂寥の思いでいっぱいだ

人々が誰かと笑い合う様子を見ると心が痛い

私も誰かと笑い合いたかった

誰かと幸せになれたはずなのに

夢物語で終わってしまった

人間はみな寂しさを感じるものだ

家族や友人がいたとしても

ある「一定の水準」まではみな孤立を味わう

時に人を失うこともある

だけどそうしてまた立ち上がれるのは

必ずそこに他の誰かがいるからだ

人間が本当にダメになる時というのは

「一定の水準」を超えた時

即ち最後の一人を失う時だ

私はもうダメになってしまった

どうすることもできなかった

一人、また一人と去っていくのを

私はただ見ているしかなかった

黙って去っていく者もいれば

「ごめんだけど、もう付き合いきれない」

「自分には助けられない」

「そんなに死にたいならもう止めない」

そう言って去っていく者もいた

「嫌だよ」「寂しいよ」「助けて」

「おいていかないで」「一人にしないで」

言いたかった言葉を全て飲み込んだ

「わかった 今までありがとう」としか言えなかった

きっと私の存在がいけなかった

 

 

今日私が死んでも誰も気づかない

問題は今日死ぬかどうかだ

今どうするべきか考えなくては

疎外されてまで生きるべきか

病に苦しんでまで生きるべきか

そこまでの答えを哲学者は教えてはくれない

 

 

 

 

"The worst part of the hell is not the flames it's the hopelessness and I think that is the part of hell that a person in depression really tastes"ー

「地獄の何が最悪かと言えば、それは身を焼き尽くす炎ではなくて、希望のないことだ。そしてそれこそが意気消沈しきった人が味わう地獄である」

-Faces of Depression 1959 Psychiatric Interviews