闘病生活と逃亡生活のこと

(これは日記である。従って文の構成が乱雑であることには目を瞑って頂きたい)

 

私は現在闘病している身である

闘病と言うと厳かな響きを奏でてしまうが

実際はそれ程でもない

何のことはない、誰もがしていること

内なる自分と戦うこと

過去と戦うこと

誰にだって重々しい過去はあるものだから

何も特別でも荘厳でもない

 

私がPTSDを患っているのはつい最近わかったことだ

和名で言うと心的外傷後ストレス障害である

発症原因は主に重大な犯罪に巻き込まれること

大災害や大事故や傷害事件などである

私は傷害事件が原因で発症したようだ

 

自分では克服したつもりでも

年月を経て

奴らはやってくる

それも月日が経てば経つほど

鮮明になっていく

その記憶だけが色褪せることを知らない

記憶の形成が今更実行されているのか

夢だと思っていたもの

夢だと思いたかったもの

それらが現実という輪郭を帯びていく

ジリジリと脳内を攻め入られるような

あるいは中から増殖していく恐怖 

過去としての輪郭が明らかになる度に

現実への不安感も募っていく

私の体験しているものは現実か夢か

重い重い暗闇に引きずられる間に

そばにある確かなものはその辛い過去

輪郭がはっきりしてきた陰惨な過去だけ

これだけは現実だとはっきりわかる

痛みや無力感や屈辱感だとか

心の中の何か大事なものが音を立てて崩れていく

そんな感じがまるで今起こっているかのように

鮮やかに思い出せるからだ

皮肉にもその過去だけが私の存在を証明する

これが “Cogito,ergo sum” だと肌で感じた

それ以降の現実は

思えば何も感じていなかった気がする

何があったかは思い出せる

しかし心にモヤがかかっているように

何もはっきりとしない

端然としているのはどんよりと暗く辛い気持ち

 

昨今、フラッシュバックという単語が浸透している

その親しみ易さから来るある種の事実軽視のため

私はあえて再体験症状と呼んでいる

再体験症状というのは簡単に言えば次のようである

「あなたは今現実にいる。しかし、あるとても印象的なきっかけにより、あなたは鮮明な夢の中へ一瞬の間に引き摺り込まれる。あなたはこれを夢だとは認識せず、先程いた現実の続きであると信じる。」

例えば大戦帰りの退役軍人を例にしよう

彼は帰還後に戦争後遺症と診断された

録音された爆撃音やサイレン音を聞くや否や

彼はベッドの下に潜り込み戦闘態勢に入る

この場合「印象的なきっかけ」とは音である

彼はPTSDに侵されていたのである

人は激しいストレス環境下に置かれた後

たとえそこから逃げ出しても

少しでも過去の環境に似る何かがあれば

矢庭に認知の歪みが現れる

これは一種の防衛能力であると私は考えるに至った

人は誰しもが防衛能力を持つ

目の前に全裸で刃物を持った人間がいれば

誰しもが身を守るために逃げるであろう

この状況下で防衛反応を抑するのは至難の業だろう

患者にとっても同じである

戦争後遺症の彼は当然のこと

私もまたそうである

完全な安全を保証されていないうちは

大きな音や暴力シーンなどでも駄目になる

これでも克服した方であるが

ちょっとしたことで過去と現在が入り混じる

まだ実はあの時が終わっていないのではないかとか

多大なる恐怖や不安に襲われて狂う

悪夢を見る時はもっと厄介である

なぜならきっかけなどなくして

忘れようともがいた努力をよそに

脳は夢で同じことを再現する

こうなると睡眠も容易くない

最近の悪夢は特に鮮明だ

もはや起きているのか寝ているのかわからない

もはや眠ることが嫌になる

起きている間は音や映像に気をつければいい

起きている方が楽だ 眠るのは嫌だ

辛い苦しい頭が痛い気持ち悪い

時間がわからない記憶が曖昧だ今何をしている

今とは何だ何もできない鬱だ不安だ怖い

食欲が湧かない湧いても味がわからない

もはや何故食べる楽しいとは何だ苦しいはわかる

どうすればまともになれる苦しみから解放される

前みたいになりたい普通になりたい

死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい

 

私は社会復帰できるだろうか

こんな人間の生きる場所はあるだろうか

そんな場所はないからPTSD患者は自殺するのか

ならば私もいずれ自殺完遂を成し遂げるのか

私は死にたくない

この耳鳴りのような過去を終わらせたいだけ

そうすればまた戻れるはずだ

活気のあった頃 生の喜びを知っていた頃

何も感じない日々とはおさらばして

普通に戻れたらしたいことがある

社会で明るく生きてみたい 

明るい人間になりたい

悩みがあったって良い

人間らしく生きたい

何も悪くないはずの自分を

責め抜いて苦しむこともなく

苦しみからの解脱を成し遂げ

自由に壮大にそして穏やかに

真人間として生きてみたい